単心室で生きる

右心低形成の娘の日々

グレン手術?カテーテル?



前回のカテーテル検査で、肺高血圧とのことでグレン手術は先送りになった。


が、


バルーンで裂開した筈の心室中隔の欠損部が狭く、血流が流れにくくなっているらしい。


サチュレーションが低く80いかない。


体重の増加により、シャントの人工血管の血量が足りなくなっている。


バルーンでは開けられる限界があって、もう胸を開けて拡大術をするしかないようだ。


酸素を吸わせれば肺高血圧は解消されることは前回のカテーテルで確証済みらしく、もう一度する予定だったカテーテル検査を行わずグレン手術を行うことになった。


術後肺高血圧が下がらなかったら、

酸素を使用。ほかに肺動脈を広げる薬が何種類かあるので使っていく。


肺高血圧があるので術後安定するのにはすこし時間がかかるかもしれない、とのこと。


何を優先すべきなのか。


心室中隔欠損の穴の拡大術か

シャントの人工血管かサチュレーションか

グレン手術か

肺高血圧を下げることか

胸を開ける回数を減らすことか


親としては何の不安もなく納得して手術してもらいたい。

肺高血圧が下がるまで待つより先にグレンをやるべきなのか?

グレン手術を行わず拡大術のみを行うことは?

シャントの血管を太いものに付け替えたりするよりもグレン手術のが確実なのか?

拡大術、グレン手術と2度も胸を開けるより一度で済ませた方がいいのは親としては考えるけれど……。


手術前にまた詳しい説明をしてもらえるそうだけど正直専門用語ばかりで理解が追いつかない。

勉強しておかなくては。

2度目のカテーテル


シャント術から5ヶ月。生後6ヶ月に入った頃に2度目の手術『グレン手術』の為のカテーテル検査を行った。

入院期間は二泊三日。


カテーテルは2回目とあって開胸手術より不安は少なかった。


入院初日から娘のぷくぷくのやわらかい腕に針を刺しルートをとる。

娘の鳴き声が別室から聞こえる。


分かるんですよね、母親って。

『あ、これは自分の子の声だ』って。

だって毎日毎日聞いてるし、夜中だって娘が一声でも上げれば起きるよ。


代わってあげたい。

私の腕になら何本でも刺していいから代わりたい。

私の心臓を移植してあげたいとも思った。

いくら親子でも現実的には無理だろうけど。



病室は4人部屋。

午前中は1人だったのに続々と増えて満室になった。小児病棟ってはじめて過ごしたんだけど、どこかの子が泣くとやっと寝かせた我が子が起きる。その声でまた別の子が……と泣き連鎖。しかも点滴につながれた我が子を連れ出すのも、自分一人で部屋を出るのも不可能。

ずっとカーテンの中の一区切りの中にいる三日間は精神的にキツかった。しかもずっとコンビニ飯だから本当キツかった。もうね後半本当美味しくないんだよ。何を食べても。おっぱいだから栄養のあるものを食べたかったけどずっとコンビニだった…ごめんね。

お風呂も家に帰って浴びた。家が近くてよかった。



点滴をとって、CT検査。

造影剤使用。次の日カテーテル


造影剤検査は何の問題もなく終わってくれた。

娘はパパといても泣かなかったのにCTの間にシャワーを浴びて戻ってきた私の顔を見たら泣き出した。

がんばったね、がんばったね。



次の日いよいよ、カテーテル検査。

眠り薬を上手に飲んで、コテンと眠った。

検査室の前まで見送って医師たちに娘を託した。



電話がならないように悪い知らせが来ないように祈りながら病室で待った。



数時間後、足をがっちりと固定され酸素を付けた娘が帰ってきた。

顔は白くて血の気が引いた。

娘の顔に耳を近づけるとスースーと声がした。

眠り薬がまだきいていてぐっすり眠っていた。

目が覚めても痛いだけなら、もうしばらく眠っていた方がいいか。

夜中になるとゴソゴソと動きはじめ、タンが絡んだような苦しそうな咳をしだした。

次の日の朝くらいに固定器具が外れ、水からはじめ、吐かなかったのでおっぱいも再開。


やっと一息つけた気がした。


そしてその日のお昼頃、検査結果を聞かされた。


まだ肺動脈血圧が高いので、グレン手術はできない。ので、また数ヶ月後にもう一度カテーテル検査をすること。バルーンでの心室中隔欠損裂開術は成功したとのこと。


うーん。こんな精神的にもキツイ命がけの検査だったのに…。もう一度かあ。


キツイなあ。



この日の夕方に退院。

肺動脈を広げる薬と利尿剤、血液サラサラ薬が出た。



そして、この日から在宅酸素開始。




BTシャント術


まず娘に必要だったのは

動脈管を開いておく点滴を外すための姑息術。

『BTシャント術』


動脈から枝分かれした血管と肺動脈を人工血管でつなぎ、動脈管の役割をしてもらう。

やっぱり心臓をさわるので死亡のリスクはある。

怖い。


この手術で点滴は外れる。

点滴を外すためだけの手術にこれだけのリスクを背負わなければならないなんて…。


生後3週間ほどでシャントをやる予定だったが、点滴の効きがいいので1ヶ月まで伸ばすことになった。

1ヶ月経てば血管がある程度は安定してくるらしい。新生児卒業と同時に手術。


手術2日前に、上の子がノロウイルスに感染。

上の子は翌日まで違う病院に入院した。


娘が入院してから毎日行っていたNICUに手術まで行くことをやめた。うつるといけないから。


手術当日は朝から会いに行った。

だっこで手術室まで行った。

生きて会えるのは温かい娘を抱っこできるのは

もしかしたらこれで最後かもしれない。

そんな気持ちで抱きしめた。


絶対もう一度暖かくてやわらかなあなたをだっこしたい。

麻酔から覚めたらまた会おうね。


家族控え室で待つ間胃がキリキリ痛む。

昨日からストレスでか胃腸の調子が悪い。(ノロウイルスではない)


約3時間程で手術は終わった。


ICUに会いに行った。

娘の小さな身体には沢山の点滴が伸びていた。

触られてもピクリとも動かない。

だけど胸だけはしっかり上下して動いてる。


主治医の先生は『成功です』と教えてくれた。

ただ急変が起きる確率はゼロではない。

それは手術説明の時に聞いていた。


ICUの限られた面会時間の中、上の息子を親に預けて毎日会いに行った。

意識が戻ったり、手を動かしたり…1日、1日、と回復していき、点滴も減っていった。

手術から3日後にはNICUに戻ることができた。


それからは体重もしっかり増え、問題ないとのことで点滴も外れた。

生まれてから2ヶ月ほど付けっ放しだった点滴がやっと外れた。点滴が外れたので生まれてはじめて沐浴できた。

点滴が引っかからないか心配しながら抱っこすることもない。



手術から約一ヶ月後、

インフルエンザにかかった主人を隔離して退院。

実家の協力には大感謝である。

退院の日は妹にずっと会えなかった息子も一緒に迎えに行った。はじめて妹の寝顔を見た息子は見た瞬間からニヤニヤしていた。可愛かった。あの瞬間の2人を忘れない。忘れたくない。

妹を抱っこする私に何回も何回も『見せて!』と言ってくる息子。その度に私はしゃがんで見せてやった。




『今日から一緒に暮らせる』

それが最高に嬉しかった。

一緒に暮らすのは家族なら当たり前だけど当たり前じゃない。

生まれてからNICUにいる間、寝室にある娘が眠るはずだったベビーベッドを見ては『なんでいないの?』と毎日自問自答してた。

時間を気にせずどんだけでも抱っこできる。一緒に居られる。食事制限もない。好きなだけおっぱいを飲ませてあげられる。


幸せだあ


ずっとずっと一緒に大きくなりたい。



この子の為の全てに感謝したい。

手術に携わってくれた医師たち。

サポートしてくれた看護師の皆さん。

助けてくれた私の両親。祖父母。

主人に休みをくれた会社の皆さん。

医療費は税金なので税金を払ってくれている人たち。

そして、この手術法を生み出した医師。



ありがとう。

あなたたちのおかげです。


BTシャント術


まず娘に必要だったのは

動脈管を開いておく点滴を外すための姑息術。

『BTシャント術』


動脈から枝分かれした血管と肺動脈を人工血管でつなぎ、動脈管の役割をしてもらう。

やっぱり心臓をさわるので死亡のリスクはある。

怖い。


この手術で点滴は外れる。

点滴を外すためだけの手術にこれだけのリスクを背負わなければならないなんて…。


生後3週間ほどでシャントをやる予定だったが、点滴の効きがいいので1ヶ月まで伸ばすことになった。

1ヶ月経てば血管がある程度は安定してくるらしい。新生児卒業と同時に手術。


手術2日前に、上の子がノロウイルスに感染。

上の子は翌日まで違う病院に入院した。


娘が入院してから毎日行っていたNICUに手術まで行くことをやめた。うつるといけないから。


手術当日は朝から会いに行った。

だっこで手術室まで行った。

会えるのは、抱っこできるのは

もしかしたらこれで最後かもしれない。

そんな気持ちで抱きしめた。


絶対もう一度だっこしたい。

麻酔から覚めたらまた会おうね。


家族控え室で待つ間胃がキリキリ痛む。

昨日からストレスでか胃腸の調子が悪い。(ノロウイルスではない)


約3時間程で手術は終わった。


ICUに会いに行った。

娘の小さな身体には沢山の点滴が伸びていた。

触られてもピクリとも動かない。

だけど胸だけはしっかり上下して動いてる。


主治医の先生は『成功です』と教えてくれた。

ただ急変が起きる確率はゼロではない。

それは手術説明の時に聞いていた。


ICUの限られた面会時間の中、上の息子を親に預けて毎日会いに行った。

意識が戻ったり、手を動かしたり…1日、1日、と回復していき、点滴も減っていった。

手術から3日後にはNICUに戻ることができた。


それからは体重もしっかり増え、問題ないとのことで点滴も外れた。

生まれてから2ヶ月ほど付けっ放しだった点滴がやっと外れた。点滴が外れたのではじめて沐浴できた。

点滴が引っかからないか心配しながら抱っこすることもない。


インフルエンザにかかった主人を隔離して退院。


先天性心疾患右心室低形成


2018年12月9日に我が家に生まれた小さな命。

小さい身体に大きな障害を抱えていました。

この子の生きた1日、1日を忘れないためにブログを書きます。



個人でやっている産婦人科で9日に日付が変わった頃に2814gの女の子が生まれました。

先に破水していたので鼻吸引することなくすぐ産声を上げてくれました。

今思えば、この時から苦しかったのかな。


生まれたその日は母親を休ませる為に『新生児管理室』というところで預かってもらう設備を使用。翌朝部屋に娘を運んでくれるとのことでした。


だけれど私は興奮してなかなか寝付けず、朝までラインでみんなに生まれた報告をしていました。


朝になっても赤ちゃんは部屋に来ません。

看護師に聞いたら「元気でミルク飲んでるよ」。

早く会いたいなという気持ちは膨れるばかり。


昼近くに私と主人は産婦人科の先生に呼ばれました。

呼ばれるままに先生の元に行くと、生まれたばかりの娘は神妙な面持ちの救急隊員と数人の見たこともない先生にかこまれていました。


『チアノーゼが出ている』

『サチュレーションが上がらない』

『大きな病院に転院して精密検査が必要』


私は初めて聞く単語に理解が追いつかず、

「まあ、大丈夫だろう」と軽く考えていた。


生まれたばかりの小さな娘は保育器に入れられて救急隊員により運ばれて行った。

かわいい帽子をかぶせてもらってた。


娘が生まれて初めて乗った車は救急車になった。



私は切っても縫ってもなく、産後すぐでもテキパキ動けた。でも外出は禁止され、主人が転院先の病院に検査結果を聞きに行った。



1番大きな検査結果は

心室中隔欠損を伴わない肺動脈閉鎖』


これ以外にもいくつか血管の位置や場所が違うところがあった。(この後のグレン、フォンタンに響いてくる)


心室中隔欠損を伴わない肺動脈閉鎖』は簡単に言えば右心房、右心室が成長せず低形成。

右心は肺へ血液を送る役割をしているがそれがないので肺から血中に肺で吸った酸素が取り込めない。

肺動脈「閉鎖」なら穴を開ければ繋がるのでは?と思っていたが娘の場合、肺動脈から右心へのびる血管自体が無かった。


全身から帰ってきた血液は右心で行き場を失うが、娘には「心房」に穴(本来開いててはいけない穴)が開いていたのでそこから左心室へ流れて動脈管と全身にいく血管に血を送り込んで生きていた。


すぐに大きな病院のNICUに入り、酸素に反応して閉じてしまう血管、動脈管を無理やり開けておく点滴を開始。


サチュレーションも90〜と安定していたが酸素で閉じてしまう血管なのでサチュレーションが上がりすぎてもダメ。



すぐにカテーテル検査の日程が決まった。

死亡することもある検査と聞いて説明や途中に泣いてしまった。

1番泣きたいのは娘だろうに。



ママお酒もタバコも我慢したのにな。

なにが原因なんだろう。


こんなときわたしは無力だ。