単心室で生きる

右心低形成の娘の日々

2度目のカテーテル


シャント術から5ヶ月。生後6ヶ月に入った頃に2度目の手術『グレン手術』の為のカテーテル検査を行った。

入院期間は二泊三日。


カテーテルは2回目とあって開胸手術より不安は少なかった。


入院初日から娘のぷくぷくのやわらかい腕に針を刺しルートをとる。

娘の鳴き声が別室から聞こえる。


分かるんですよね、母親って。

『あ、これは自分の子の声だ』って。

だって毎日毎日聞いてるし、夜中だって娘が一声でも上げれば起きるよ。


代わってあげたい。

私の腕になら何本でも刺していいから代わりたい。

私の心臓を移植してあげたいとも思った。

いくら親子でも現実的には無理だろうけど。



病室は4人部屋。

午前中は1人だったのに続々と増えて満室になった。小児病棟ってはじめて過ごしたんだけど、どこかの子が泣くとやっと寝かせた我が子が起きる。その声でまた別の子が……と泣き連鎖。しかも点滴につながれた我が子を連れ出すのも、自分一人で部屋を出るのも不可能。

ずっとカーテンの中の一区切りの中にいる三日間は精神的にキツかった。しかもずっとコンビニ飯だから本当キツかった。もうね後半本当美味しくないんだよ。何を食べても。おっぱいだから栄養のあるものを食べたかったけどずっとコンビニだった…ごめんね。

お風呂も家に帰って浴びた。家が近くてよかった。



点滴をとって、CT検査。

造影剤使用。次の日カテーテル


造影剤検査は何の問題もなく終わってくれた。

娘はパパといても泣かなかったのにCTの間にシャワーを浴びて戻ってきた私の顔を見たら泣き出した。

がんばったね、がんばったね。



次の日いよいよ、カテーテル検査。

眠り薬を上手に飲んで、コテンと眠った。

検査室の前まで見送って医師たちに娘を託した。



電話がならないように悪い知らせが来ないように祈りながら病室で待った。



数時間後、足をがっちりと固定され酸素を付けた娘が帰ってきた。

顔は白くて血の気が引いた。

娘の顔に耳を近づけるとスースーと声がした。

眠り薬がまだきいていてぐっすり眠っていた。

目が覚めても痛いだけなら、もうしばらく眠っていた方がいいか。

夜中になるとゴソゴソと動きはじめ、タンが絡んだような苦しそうな咳をしだした。

次の日の朝くらいに固定器具が外れ、水からはじめ、吐かなかったのでおっぱいも再開。


やっと一息つけた気がした。


そしてその日のお昼頃、検査結果を聞かされた。


まだ肺動脈血圧が高いので、グレン手術はできない。ので、また数ヶ月後にもう一度カテーテル検査をすること。バルーンでの心室中隔欠損裂開術は成功したとのこと。


うーん。こんな精神的にもキツイ命がけの検査だったのに…。もう一度かあ。


キツイなあ。



この日の夕方に退院。

肺動脈を広げる薬と利尿剤、血液サラサラ薬が出た。



そして、この日から在宅酸素開始。